「第1回能meets能」配信動画ご覧の皆様は必見!

お知らせ

先日終演しました「第1回能meets能」の動画配信が、いよいよ3月8日より公開されます。
会にお越しいただけなかった方も、もう一度観たい方も、是非お申込みください。
この動画ではアフタートークも収録されており、ボリューム満点かと、我ながら思っています。

正直に申しますと、やはり「生の舞台」を動画が超える事はないと私は思っています。
しかし、動画配信の良さもしっかり踏まえて皆様にはお届けしたいと考えます。
例えば、
「気になる所をもう一度戻して観る事ができる」
という事もその利点の一つでしょう。
または
「あるシーンをアップして観る事ができる」
のもそうですね。

このページでは、動画鑑賞にあたり
「気になる箇所を作っていただく」為に、
能「大会」のあらすじと、
鑑賞のポイントを記載しました。

シーン毎に、「どこを観ていただいたらいいか」を書きましたので、是非以下の文章をご覧の上で配信をご覧ください。

〜能「大会(だいえ)」舞台展開〜

①僧が庵で修行を行っている

☞舞台が始まると、僧がおもむろに登場しますが、
これは「登場していない」のです。
どこからか現れたという描写ではなく、「そこにいた」所からこの能は始まります。
つまりこの僧の登場は、「準備」なのです。
だからまだ舞台が始まっていない証拠として、囃子方も床几にまだかけず、地謡も扇を前に出して用意していません。

②山伏が現れ、僧にかつて命を助けられた礼を述べる

☞山伏の第一声は、その周りの状況を述べたものです。
能では、その現場の様子や周囲の情景等を、登場人物の誰かが代表して述べる事があります。

「月は古殿の燈火をかかげ 風は空廊の箒となって」

古い庵の屋根も破れているのか、月が燈火の代わりをしており、また廊下は風が吹きっさらしで塵を掃く箒の代わりとなっているという事です。この庵の荒れ果てた様子を謡で表現しています。

☞山伏は僧に助けられた事を述べますが、どのようにして助けられたかはこのシーンでは説明されません。
「都東北院の辺りにての御事なり」とだけ言っています。
実は命を助けられたいきさつは、後に間狂言によって語られるのです。

③恩への報いとして一つ望みを叶えようと言う山伏に、僧は一つの願い事をする

☞「釈迦の説法の様子が見たい」
と僧が話すと、山伏は「それこそ易き御望みなれ」と引き受けます。

さてこの時の山伏の心境は?
「ふん、それくらいお安い御用さ」
と自身満々なのか、
「これでやっと恩返しができる」
と安堵したのか。
それとも「しまった、大それた事を引き受ける事になった」と思ったのか。

☞釈迦の説法を見せる代わりに、山伏は一つの約束をします。
「尊しと思し召さば 必ず我が為悪しかるべし」
…私の事を尊いと、本当に信心を起こしてはいけないと。

その後地謡の勢いが増して凄まじい迫力で山伏は姿を消します。
この勢いを「慢心」と捉えるか、
「恩返しできる喜び」と捉えるか、
皆様はいかがでしょうか?

また、この後「構えて疑ひ給ふなと」と二足ワキの僧に対して足を出しますが、このようなシンプルな動きに、
「念を押す」「思いを伝える」というような、
相手への意思表示が表現されるのです。

☞「来序」という退場の仕方で山伏は幕へ帰ります。
橋掛という、幕から舞台にのびている廊下のような部分にくると山伏はその体をいったん止め、囃子の掛け声に合わせて一足ずつ進めていきます。

非常にゆっくりと歩んでいきますが、
「遠ざかる距離感」
を表現しているとも考えられますし、
神秘的な或いは荘重な様子を表現しているとも言えます。

④木ノ葉天狗が現れ、説法を見せる準備を行う

☞「能と狂言は違うのですか?」
とよく尋ねられますが、このシーンに登場している木ノ葉天狗が「狂言」の役者です。
能の前半と後半の間をつないでいます。

☞このシーンで、主役の天狗が命を助けられたいきさつが述べられますので、よく聴いてみてください。
能のセリフが「文語調」つまり手紙を書くような言い回しに対して、狂言のセリフは「口語調」。
話し言葉ですので聞きやすいかと思います。

⑤僧が目を閉じていると、仏の世界が曼陀羅の様に現れる

☞囃子の登場音楽にのって、先程の山伏(実は天狗)が、お釈迦様の姿で荘厳に現れます。
一人しか登場しませんが、そこには普賢菩薩、文殊菩薩、その他龍神や天人などが雲霞の如く現れており、天からは花が降り音楽が聞こえ、正しく神秘的で霊験あらたかな気色になっているという事が、地謡で表現されます。
主役である釈迦は動きがほとんどなく、しかしその事によって釈迦の存在感が出てくるかと思います。

☞さてここで、1つ師匠から教わった事を。
釈迦が橋掛かりから舞台に入る所、私はこれまでは釈迦らしく悠然と歩んでいたのですが、
山階先生からは「そこは、釈迦の真似事をしている天狗がおどおどしながら、慣れない感じで歩いているのだよ」と教えていただきました。

本番は少し小股で歩いてみましたが、さていかがでしたでしょうか?

☞また台座に座り、周りの花降る景色を眺めた後、恭しく巻物を広げます。
これは解説でもお話しした通り、「釈迦が巻物を読むはずがない」のです。
自分の教えが書かれた巻物を広げている事の滑稽さ。
または佛の世界に仲間入りできた喜び。
あるいは、後ろめたい気持ちで、巻物で顔を隠しているようにも…。

皆様はどう思われますか?

⑥僧が思わず歓喜し涙を流して礼拝する

☞勿論本当に涙を流すわけではありませんし、顔を曇らせることもしません。
ただ、床几から下りて合掌をします。
皆さんが普段仏壇の前で行う合掌とは 少し違いますね。

⑦地鳴りが起こり、帝釈天が怒り現れる

☞急に様子が変わり、地鳴りが起こり天から帝釈天が駆け下りてくる様は、謡と囃子が急変することで表現。
釈迦は思わず持っていた巻物を隠すかのように左へよけ、
「しまった!」という表情で慌てて巻物を巻き直します(この所、山階先生より、わざと雑に巻いた方がいいとの事でした)。

☞巻物を直した後、台座から立ち上がり飛び出すと同時に謡も囃子も鎮まります。
この後「イロエ」という囃子のみの演奏があり、釈迦は静々と歩みます。
このシーン、あまり具体的に捉えるよりは(勿論そう思ってみてもよいのです)、釈迦(天狗)の内的世界と捉えてはいかがでしょうか?

心の中を囃子と歩みで表現しているのであって、もっと言うとこの間、「時間が止まっている」と考えた方がよいのかもしれません。

ではこの時天狗は一体何を思っているのか?

それはお客様の想像にゆだねる事にします。
それが故に能はシンプルにできているのです。

☞帝釈天に使用した能面は、当日出演していただきました山中雅志氏より拝借した珍しい能面です。
神的であり、怒りの表情もよく示されています。

☞「働き」と呼ばれる、こちらも囃子のみの演奏で二人の格闘シーンが挿入されますが、帝釈天が攻めるのに対して天狗は逃げるようなイメージかと思います。
つまり、天狗は元より帝釈天に歯向かうつもりなんてないのですね。

⑧天狗は降参し、谷の岩洞に逃げていく

☞「もじり羽」つまり空を飛ぶ為の羽がボロボロにされ、空に飛べません。
その所、両方の袖を巻き上げる所作で表現しています。

☞散々に打ちのめされた天狗は頭を下げ詫び、空には飛べないので洞穴に入り、この能は終わります。

以上、能「大会」のざっとした進行と、ご覧になる時の楽しむヒントとして長々と付け加えさせていただきました。
この文章と一緒に配信をご覧いただければ幸いです。

では、「第1回 能meets能」配信動画、どうぞお楽しみください。そして、これからも「能meets」の活動へのご理解ご声援よろしくお願い申し上げます。

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