盗みも命のありてこそ

お知らせ

鬼の様ないかつい能面、「長霊べし見」。「べしむ」とは、口を閉じ歯を食いしばる事。長霊という能面作者が作ったのでこの名前がついています。あの上杉謙信が戦場に出る時にはこの能面を使用したとか。目に金をはめ口を閉じる事で強い表情を表します。この男こそ、伝説上の人物と言われる、大盗賊集団の頭領、熊坂長範(くまさかちょうはん)。

しかし、どことなくユーモラスと言いますか、何かに対して目をひんむいて驚いているような顔です。何に対して驚いているのか?
能《熊坂》は、大盗賊熊坂が、霊となって現れ後世の弔いを願う様子を描いた、観ていて飽きない曲です。その曲の流れを少しお話しします。

(1)僧と、僧

旅をしている僧(ワキ)が、美濃国を通る。夕暮れ時、辺りが薄暗くなっていく頃、一人の僧(シテ)が声を掛ける。同じ格好をした者が二人・・・能の中でも非常に珍しいシーン。どことなく異様な空気が漂う。
その僧は、旅僧に対し、

シテ「今日はさる者の命日にて候弔ひて賜り候へ」

名前は明かさないが、ある者の命日だから弔って欲しいと言う。旅僧は勿論の事と引き受けるが、誰を弔うのかと尋ねる。しかし僧は、名を明かさない。

地「回向は草木国土まで洩らさじなれば別きてその 主にと心あてなくとも さてこそ回向なれ」

仏法は草木国土に至るまで分け隔てなく救いを与えるのであるから、その主を思わなくても、回向を受けて喜ぶ者がいたならば、それこそが主である、お経をあげてほしいと重ねて頼む。

(2)旅の僧を自分の庵に案内する その庵の中には・・・

その怪しい僧は、自分の庵に案内する。そこで不思議な光景を目にします。僧の庵なのに、仏像は一つもなく、その代わり長刀など武器が壁一面にひっしと並んでいます。(もちろん舞台には、庵の作り物どころか、その武器すら登場しません。皆様の頭の中で庵の中の雰囲気を感じてください。)

すると、僧は語りだします。

「この僧は未だ初発心の者にて候が ご覧候如くこの辺りは 垂井青墓赤坂とて その里々は多けれども 間々の道すがら 青野が原の草高く 青墓子安の森茂れば 昼とも言わず雨の中には 山賊夜盗の盗人等 高荷を落とし里通いの 下女やハシタの者までも
うち剥ぎ取られ泣き叫ぶ さやうの時はこの僧も 例の長刀ひっさげつつ 此処をば愚僧に任せよと 呼ばわりかくればげには又……」

自分がまだ出家したばかりである事、この辺りは山賊などが多く出るので、人が襲われ悲鳴が聞こえたら自分も武器を持って駆けつけるのだという事……。

そして、「仏も煩悩を切り捨てる阿弥陀如来の称名を利剣に例え、愛染明王は弓に矢をつがえるように、仏も時には武器を持って悪魔を降伏させる。私も僧でありながら武器で盗賊に立ち向かう事は人を助けるための方便である」と物語ります。

※これはシテではなく、地謡が代弁。シテは舞台中央に座ったままです。

(3)シテ僧が姿を消すと……

やがて時も過ぎ、夜も深まっていく。僧は旅僧に向かい、ここで泊まりなさい。私も寝所で休みますと姿を消す。するとどうしたことか、さっきまであったはずの庵室もすっと消えて、旅僧はなんと草むらで一晩を明かしていたのであった。

(4)所の者が登場

そこへ、この地に住む者(間狂言)が通りかかる。旅僧は此の者に、昔この場所で悪事を働いたような人がいたか尋ねる。男は熊坂長範の事を話す。盗賊の大集団の大将だったが、都の商人三条吉次一行を襲撃した際、その中にいた牛若丸によって返り討ちに遭い命を落としたと。

先程の僧は熊坂の霊に違いないと確信した旅僧は、この地で弔いを始める。

(5)熊坂長範の霊が現れる

「東南に風立って西北に雲静かならず 夕闇の夜風激しき山陰に こずえ木の間や騒ぐらん」

夜風が激しく吹き、木々がざわざわと揺れる――。
※ここでも視覚的な助けは何もありません。謡だけでこの夜の空気を感じてください。

鎧を身にまとい、長刀を持った熊坂の霊が僧の前に現れる。熊坂は自分を弔ってくれる僧に対し、最期の有様を物語る。

(6)最期の有様を物語る

熊坂は床几に腰かけ(馬上で手下に指揮をとる態を表現)、物語る。

「さても三条吉次信高とて 黄金を商ふ商人あって 毎年数駄の宝を集めて 高荷を作って奥へ下る あっぱれこれを取らばやと 与力の人数は誰々ぞ」

国々から集まった屈強の強者達。河内の覚紹、磨針太郎兄弟、三条の衛門、壬生の小猿、麻生の松若、三国の九郎……70人程の手練れが集まっている。
※舞台には熊坂しか登場しません!

吉次一行が通る道を見張っており、彼らが赤坂の宿に泊まる事を知る。

商人吉次一行は、宴会に疲れてか、夜更け静かに眠っている。しかし、その中に眼光鋭い小男が、外で物音がするのを障子の隙間からじっと窺っている。

盗賊達は、その小男にも気付かず、皆我先にと松明を投げ込み投げ込み物凄い勢いで乱れ入る。
そこに先程の小男、そう、牛若丸が少しも恐れる気色なく、小太刀を抜いて渡り合う。

「獅子奮迅虎乱入 飛鳥の翔りの手を砕き 攻め戦えばこらえず 表に進む十三人 同じ枕に切り伏せられ そのほか手負い太刀を捨て 具足を奪われ這ふ這ふ逃げて 命ばかりを逃るもあり」

熊坂はこの騒動に驚き、奴はいかさま鬼神か、人間にてはよもあらじと身を震わせる。盗みも、命あっての物種、退却しようと一度は考えるが、いや俺の秘術を使えばどのような者でもかなうまいと、討たれた同志の為にもと引き返す。
しかし牛若の強さ、身軽さは尋常ではない。熊坂の長刀を右や左とかわし、挙句は刃の上に飛び乗り、一瞬姿を失ったかと思えば鎧の隙間に斬り込まれる。

長刀ではこいつにはかなわない、熊坂は長刀を投げ捨て、手捕りにしようと組みかかる。しかし陽炎や稲光をとらえられないように、水に映る月の様に、姿を捕まえる事ができず、次第次第に弱り、負った傷も深まり、この松の下で力尽き命を落とす……。

「この松が根の 苔の露霜と 消えし昔の物語 末の世たすけ賜びたまえ」

どうか後世を助けて下さい。弔って下さいと言い、夜がしらしらと明けるにつれ熊坂の霊は赤坂の松蔭に消えていった。

……庵は登場しない、消え行く庵室のシーンで場面展開もない。朧月夜の風が吹きすさぶ夜は謡のみで表現し、70人もの盗賊集団も熊坂一人だけ。そして、大胆なことに、もう一人の主役、牛若丸なんてどこにも現れない。能らしい、余分を大幅に削る事で表現している曲です。お客様には不親切ですが、その分皆様の頭の中で、どのような庵なのか、どんな夜なのか、想像してください。

この曲の醍醐味は、長刀さばきです。曲のクライマックスでは、熊坂が長刀を奮い、所せましと動き回ります。お客様はその熊坂の動きの向こうに、俊敏に飛び回る牛若丸を描いてください。

「討たれた時の熊坂の年齢は63歳だった。この曲を若い人が演じるのは非常に難しいんだよ」とある先輩が仰ったことがあります。

実は私はこの曲をもっと早くに勤める予定でしたが、事情あって演じないままでいました。63歳だからといって老いぼれて演じていては、牛若丸が見えてこない。かと言って軽い動きでは盗賊の頭領たる貫禄が出ない。

そしてまた、やはりみんなのヒーロー、牛若丸を登場させずにスポットを当てた点にも注目しなければなりません。
熊坂長範は、弱い者は襲わず、金持ちや身分の高い者しか盗みをしなかったとも言われています。その彼にヒーロー性を感じる方もいらっしゃるかもしれません。盗みという悪に立ち向かう牛若丸に期待を膨らませて鑑賞されるのも面白いと思います。皆様は、熊坂派、牛若派、どちらでしょうか……?

《道成寺》を終えた後、初めてのシテです。皆様是非お越しください。お申し込みは「大の会」チケット申し込みフォームよりお願いします。

「たにまち能」
日時:2017年1月7日(土)13時開演 ※「熊坂」は15時頃の予定です。
終了予定16時30分頃
於:山本能楽堂(大阪市中央区谷町)最寄り駅地下鉄 谷町4丁目駅4番出口徒歩5分
入場券:一般券5,500円
内容:能《東北》今村一夫 狂言《附子》善竹隆司 能《熊坂》林本大 他仕舞
盗みも命のありてこそ