若手能のススメ

お知らせ

一般的な能の催しのチラシは、大体舞台で演じている写真を使うのが主流になっているのですが、いかがですか、今回の若手能のチラシの表紙。

「若手能」とは、40歳までの大阪の若手能楽師が中心になり、舞台研究は勿論、会の運営にいたるまで主体となり、すすめていく催しです。私もその采配に携わる「若手能委員会」の一員です。

今回は私の発案で、今まで作ったことのないようなチラシを作ってみようと思い、日頃仲良くお付合いさせていただいておりますデザイナーの大矢礼子さんに相談し、また高校の同級生で今はカメラマンとして活躍されてる福井小百合さんに撮影をお願いして今回のデザインに至りました。

いろんな側面から能の会を観ていくことが必要であり、今回のチラシはいい投石になった気がしています。「このようなチラシでなければ」という範囲を少し広げられたように感じています。

さて今回の若手能で私が能《鵜飼》の主役を勤めさせていただきます。能《鵜飼》を少しでも面白く鑑賞いただく為に、流れをお話しさせていただきます。

(1)僧たち(ワキ・ワキツレ)登場

諸国行脚の旅に出ている僧侶の一行が、甲斐の国(山梨県)石和川のほとりに到着する。

(2)宿を借りようとするが断られる

僧は日が暮れたので、その土地の者(アイ)に声を掛けるが、宿を貸せないと断られる。どうやらこの土地には、よそ者に宿を貸してはならないという決まりがあるようだ。しかしその男曰く、川岸にお堂があるので、そこでなら泊まれるだろうと。僧たちは仏法の力を頼りに泊まろうとお堂に向かう。

(3)老人(シテ)が登場

闇の夜、月も雲に隠れ、黒の世界。(真っ暗な闇の夜を想像してください!)その中を、松明(たいまつ)を片手に一人の老人が現れる。

「鵜舟に灯すかがり火の 後の闇路を 如何にせん」

昔、殺生をして自分の生業としている者は罪深い、卑しい事だとされていました。この曲は背景にこの罪を背負っていかなければならない人間像が描かれています。

この老人は鵜を使い、魚を獲って生活をしている。この罪深い我が身を嘆いている。しかし、

「鵜使う事の面白さに 殺生をするはかなさよ」

この生業が面白くてやめられない。後の世の闇のような報いが恐ろしい。高貴な雲の上の人達は月の出ない夜を嫌がるが、私は月ない夜が喜ばしい。

(4)老人と僧が言葉を交わす

老人は暗い道を松明を振り歩いていくと、僧に出会い、話しかける。僧は誰も宿を貸してくれなかった事を語ると、老人は、「この辺りではだれも貸さないだろう」と言い、自分は鵜使いだと明かす。僧は老人に、殺生などお止めなさいとすすめるが、老人は、

若年よりこの業にて身命を助かり候程に 今更止っつべうもなく候

と、昔からの職業を今更止められないと言う。

(5)僧の一人(ワキツレ)が、ふとある事を思い出す

その時一人の僧が口を開く。

「思い出しました。数年前この川下の岩落という所を通った時、このような鵜使いに出会いましたので、殺生が罪であると説教しましたら、彼は罪滅ぼしの為に一晩の宿を貸してくれました」

と話すと、それを聞いた老人がこう言う。

「その鵜使いこそ空しくなりて候へ」

その鵜使いは、もうこの世にはいないと。

(6)老人がその鵜使いについて物語る

老人はゆっくりと座り、(※松明を消す所作あります。)おもむろに物語る。

―――この辺りは殺生禁断の所です。しかし川下の岩落には鵜使いが多く、毎晩忍び込んでは密漁を繰り返していました。それを憎んだ土地の者たちがある夜見張っていました。そこへ、かの鵜使いが忍び込んでしまいました。狙ってた人々はばっと寄り捕まえ、彼を殺せとわめきました。鵜使いは、殺生禁断の所とは知らなかった、今回だけは助けてくれと手を合わせ泣いて懇願しましたが、助ける人もなく、簀巻きにされ川に沈められました。

と、ここまで話してから、驚く事を老人は言う。

「その鵜使いの亡者にて候」

なんと、この老人こそ、簀巻きにされ沈められた鵜使いの霊なのであった。

(7)鵜使いの有様を再現する

その告白に驚いた僧は、亡者を弔う代わりに、その鵜を使って業をする様子を語って聞かせてくれるよう頼む。老人は、懺悔として鵜を使う様子を見せる(※鵜之段と呼ばれる名シーンです)。

籠から鵜を取り出しで川波にばっと放す。かがり火に驚く魚を追い回し、すくい上げる楽しさ。自分が犯している罪も忘れてしまうくらい。しかし、ふと我にかえる。かがり火が燃えていても自分の影が見えない。そうだ、自分は死んだのだ。老人はまた闇夜にまた帰っていくのであった。

(8)土地の者と僧の会話

そこへ先程の土地の者が現れ、僧の質問に答えて、数年前の鵜使いが川に沈められた事件を話す。僧は、亡者の為に弔いをしようと決める。

(9)亡者を弔っていると、冥途の鬼が現れる

僧たちは川原の石を拾い上げ、一つ一つに法華経の文字を書き入れ、波間に沈めて手向けていると、冥土の鬼が現れる。そして、かの亡者は無間の地獄に落ちるはずであったが、僧を一晩泊めた功徳によって浄土の世界に送られる事となった、と報告をする。

「法華は利益深き故 魔道に沈む群類を救はん為に来たりたり」

法華経の功徳が全てを救う。草木、罪人に至るまで慈悲の心を起こして僧を供養することで、救われるのだと説く。

この曲は前半が非常に難しいと思います。闇の世界、それに対応するかのような罪の世界。そこに月が照らす。月は救いの光。しかし老人はその月夜を嫌う。生まれながらに持った業を背負わないといけない苦しみ。

闇夜を謡で表現しないといけません。人間の暗い部分と言いますか、哀しい面をどのように表現できるか。その暗闇の中に、ぱっと空気が変わるのが「鵜之段」。自分の罪も忘れて鵜使いに没頭していきます。

「若手能」
日時:2017年1月21日(土)13時開演
※「鵜飼」は15時過ぎの予定です。終了予定16時30分頃
於:大槻能楽堂(大阪市中央区上町)最寄駅「谷町四丁目」駅(10)(11)出口
入場券:前売券2,800円 当日券3,100円 学生券1,500円(+500円で指定席)

   
是非お越しください。「大の会」チケット申し込みフォームよりお申し込みください。