百万ひゃくまん

我が子にあふむの袖なれや 親子鸚鵡の袖なれや 百万が舞を見給へ

里人は大和国西大寺のあたりで幼い子どもを拾ったが、その子の気晴らしのために、大念仏を行っている嵯峨の清凉寺に赴く。門前ノ者が念仏を唱えると、百万と呼ばれる狂女が現れ、念仏の拍子が悪いと割り込んで、笹を持ち自ら念仏の音頭を取る。百万は子と生き別れたために心が乱れていると述べ、清凉寺の本尊である三国伝来の釈迦如来像に我が子との再会を祈願する。子どもは百万が自分の母であることに気づき、里人に百万に身の上を尋ねさせると、今までの出来事を歎く内容の曲舞(くせまい)を舞う。大念仏の群衆の中で、狂気する百万を不憫に思った里人は百万と子を再会させるのだった。

まめ知識

曲名になっている「百万」は、世阿弥作の能《山姥》のツレにも「百万山姥」として名前が登場するように、観阿弥や世阿弥の時代には既に伝説的な存在となっていた曲舞の名手の名前でした。

世阿弥は著書である『五音』に「曲舞の流派には様々あるが、父・観阿弥は、奈良の百万の系統の流れの、乙鶴という女曲舞に習った」(意訳)と、観阿弥が百万の末裔の曲舞師について学び、自作の能に取り入れたことを記しています。観阿弥は当時大人気の芸能だった曲舞を取り入れ、能の音楽リズムを改革し、ついには将軍をも魅了する芸を手に入れました。観阿弥が演じていた《嵯峨物狂》という能に、世阿弥が改作を加えて、能のクセの祖ともいえる百万を主人公にしたのが、現在の《百万》であると言われています。

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百万

たにまち能 於・山本能楽堂