第二回能meets能「国栖」配信動画をご覧の皆様へ

お知らせ

10月24日に大阪・山中能舞台にて行われました「能meets能 国栖〜君を、守る〜」の配信が始まっております。

ご覧の皆様により面白く感じていただけるよう、以下にその場面毎の見どころを記載しましたので、併せて動画をご覧ください。
(もっと早くに記載するべきでした。申し訳ございませんでした)

〜能「国栖」舞台展開〜

①清見原天皇が伴に連れられ奈良・吉野へ逃げていく

👉天皇役がなんと子供!
今回は東京で活躍されてます能楽師武田祥照さんのお子様、智継君4歳です。
彼の頭にかざしているものが「輿(こし)」です。
本来輿は乗るものですが、逆転の発想で上にかざして、天皇本人は歩いて登場。
または輿の屋根を表現しているのではという方もいらっしゃいます。

「思はずも 雲居を出づる春の夜の 月の都の名残かな」

雲居とは皇居の事。
「雲の上の人」と言いますよね。
跡継ぎ問題がきっかけで都を追われ皇居を出る事になったと述べられます。

②老人夫婦が天皇一行を見つけ、我が家に案内する。

舟に乗り老人夫婦が登場しますが、帰ろうとする我が家の上に「紫雲」がたなびいているのを見つけます。

「昔より天子の御座所にこそ 紫雲は立つと申せ」

まさか我が家に?!驚いた二人は急ぎ帰り、一行と対面するのです。
橋掛にいる二人、そして舞台に入るとそこは我が家または我が家付近になる。
能舞台が作る見事な遠近法です。

③天皇の食事を用意する。

天皇が二三日食事(能では供御と書いて「ぐご」と呼んでいます)を召し上がっていない事から、夫婦は根芹や鮎を差し上げます。
具体的に料理が登場するのではなく、扇を使ってさもそこに料理が存在しているように表現します。
山盛りの鮎なのか、大きな鮎が数匹あるだけなのか…見せないからこそ想像してしまいますね。

「間近く参れ老人よ」今まで物質的にも精神的にも距離のあった天皇と老人の間が、ここで縮まります。
今回はこのシーンで天皇に近づき舞台の真ん中に座らせていただきました。

④食事の残りの鮎を川に放つ

天皇の食べ残しをいただいた老人。
残す程たらふく食べることができたのか、
天皇のせめてもの老人への気遣いなのか。
ともかくその鮎をなんと老人は川に放そうとします。
当然生き返る筈はないのですが…。

「神功皇后新羅を従へ給ひし占方に 玉島川の鮎を釣らせ給ふ」

と昔戦勝祈願に鮎を使って占った事を引き合いに出し(だから魚に占うなんですね)、それに倣って鮎を激流で岩をも切り裂くような吉野川に放します。
すると、その鮎は生き返り川をピチピチと泳いで消えていきました。
鮎もやはり舞台には登場しません。
鮎を追っている老人を表現しているのです。
「鮎ノ段」と呼ばれる名シーンです。

⑤追手がやってくると知り、天皇を舟へ隠す。

「早鼓」という囃子が演奏されます。
これは小鼓と大鼓が交互に打つだけなのですが、不思議と緊迫感が表れてきます。
一音一音が「一球入魂」である証拠です。

老人夫婦は舟を運びその中に天皇を隠し、その舟を守るが如くその周りに座ります。
※実はこの時ハプニングがありました。その事は配信の最後のアフタトークで述べています。
是非お聞きください。

間狂言が扮する追手に

「清見原の天皇の行方を知らぬか」

と尋ねられ、

「なに清み祓へ 清み祓へならばこの川下へ行け」

としらを切ります。
最後は凄まじい勢いで追手を追い返します。
しかし、内心この老人夫婦の方も心穏やかでなかったかもしれませんね。
崖っぷちの所で追手と対峙する。
そのようなシーンに感じていただきるかもしれないです。
または余裕で老人の貫禄で追い返したように感じるか。
これは、後に出てくる蔵王権現と老人の関係にも関わってくるかと思います。

⑥舟から皇子を助け出し、皇子から夫婦に礼を述べる

👉舟から出る事ができた皇子は元の座に直ります。

「それ君は舟 臣は水 水よく舟を浮かむとはこの忠勤の例へなり」

水がなければ舟が進まないように、主君と臣下の関係を例えて述べます。
その辺り、ようやく皇子が口を開きます。

「されば君としてこそ民を育む習ひなるに かえって助くる志」

あまりの可愛らしさに当日お越しの皆様は口元を緩められた事でしょう。
この無垢さといいますか、清らかさのようなものが、子役が勤める皇子たる所以かと考えます。

⑦老人夫婦が皇子一行をもてなすすべがないと悩んでいる所に、花が降り、えも言われぬ音楽が聞こえ来て、天女が出現し舞を舞う。

👉このシーン、天から花が降ってきた!
と老人は見回す所作もあるのですが、今回私はあえて「何もしない」という所作を選んでみました。
不思議と老人夫婦がここで消えていく。
それはまるでこれから現れる何かを予測したかのような…。
または、何事もなく消えていくことで、そもそもこのストーリーで自分に当たっていたスポットから身を外しただけなのか。

私は何事もなく消えていく事を選びました。
「何もしない」事の面白さがこのような所に出てくるのではないかなと思います。

⑧天女が現れ舞を舞う。

👉言い伝えによると、この皇子が後にまたこの吉野に訪れた際、天女が出現し「五節舞(ごせちのまい)」を舞ったという記述があるそうで、それに基づいて作られたシーンだと思います。
意味のある動きこそありませんが、象徴的な表現によってゆったりと華やかな雰囲気を作り、皇子をお慰めをしているのでしょう。

⑨他の神々も現れ、その中に蔵王権現が出現する。

👉「神々も来臨し」という謡で、何人も神様が出てきた事を示すだけで、実際舞台にはそれらを代表する形で蔵王権現のみ現れます。

「カヅキ」と我々は呼んでいますが、紺色の無地の衣装を頭に掛け、かがんで登場(結構腰がしんどいです!)。
これは「まだ姿が見えていない」事を表します。
どこからともなく声が聞こえる。
または、そこに何かがいる…。
どのように皆様は感じられるでしょうか。

蔵王権現は豪快に姿を現し、天には胎蔵界、地には金剛界(この世界を大きく二つに分けた考え方によります)を指し、その二つの世界を股にかけているという事を示す型「一足をひっさげ」をします。

そして皇子の時代がやがて必ず来る事を祝福し、この能は終わります。

終わりですので、勿論皆退場していきます。
皇子も何事もなく退場するのですが、今回ワキの江崎さんから提案をいただき、普段はしないのですが、皇子が退場する時に、再度輿を掛けたのです。

いつもは「もう能は終わった」ので輿は掛けないのです。その辺りの江崎さんの思いも、アフタートークでお話をされています。

以上、「国栖」の流れをざっとお伝えしました。

前半の老人夫婦は、一体何者だったのか…。
もしかして、蔵王権現と天女?…そうとも取れますし、違うともとれます。

能はそういう所をわざと「正解を出さない」のですが、だからこそ色んな想像が可能になります。

中には決めつけてしまう演者もおりますが、私はそんな事はしてはいけないと考えます(自身の中で、自分はこう思うという意思は勿論あっていいとは思いますが)。

決められた所作や動きの中にこそ、自由な発想が生まれると私は最近感じていますし、少なくとも私が演じる能はそう有りたいと考えます。

長々とお話致しましたが、こちらの文章と併せて是非配信をお楽しみください。
もうすでに配信ご覧いただきました方、この解説のアップが遅くなりました事お詫び申し上げます。

配信は12月19日23時まで(チケット購入は19日20時まで)ですので、是非とも何度もご覧いただければ幸いです。

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