出演者が語る 望月あれこれ話 レポート(1)

レポート

いよいよ迫ってきた4月30日(月・振)の林本大 独立十周年記念「大の会」《望月》。それに先立ち、4月8日(日)午前、大阪・山本能楽堂で、東京のシテ方観世流能楽師・武田宗典さんをゲストに迎えて行われた特別講座「出演者が語る 望月あれこれ話」。その一部をWeb版として公開いたします。

能《望月》のツレ「友治の妻」

(幕から、林本が打つ拍子板の演奏に合わせて、武田宗典氏がゆっくりと登場する。本舞台に入ると、向きを変えてから静かに謡い出す)

武田 (謡って)波の浮鳥住む程も、波の浮鳥住む程も、下安からぬ心かな

林本 (演奏をやめて)はい、こういう風に登場します。今日は特別ゲストとして、わざわざ東京からお越しいただきました、武田宗典さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

武田 武田宗典です。

一同(拍手)

林本 私たち実は同期で…二人の話はおいおいしますけれど、同期って私は大阪、彼は東京で観世流の修行中を共に過ごしてきた、といっても会うのは年に数回なんですけれど、仲間です。今回の《望月》、ツレの安田友治の妻役を今回、東京からお越しいただいて演じていただきますが…。

武田 《望月》のツレは先輩がすることもある役なんです。

林本 ですから、本来ならばもっと上の人にお願いするような役なんですが、私、彼に是非ともやって欲しくて、特別にお願いして、引き受けていただきました。

内容を暗示する「次第」

林本 さて、今日は一人で出てきましたが、本来ならば子方、花若ですね、子どもと一緒に登場するわけです。最初に何と謡ったかといいますと『波の浮鳥住む程も、下安からぬ心かな』。これ、どういう意味だか、みなさん分かりますか?

武田 一応言われている解釈としては、水鳥が波のところにやってくる。一見そこで落ち着いて優雅に見えますが、その波の下では必死に足を掻いている。その状態を表しているといいます。つまり自分たちは一見、安住しているように見えるけれど、心は常に落ち着かない気持ちで一杯だ、と。いつ自分も、自分の旦那さんのように命を狙われるかも分からない、そういう心情を表現しているのかなと思います。

林本 こういう登場してきて最初に謡う二行ほどの謡を『次第』というのですが、これから起こる物語の伏線であったり、なんとなく私のイメージでは、新聞の見出しのような。これから起こるストーリーの特徴というか、“色”を表現するものなんです。ですから、最初の二行というのはとても大切なんです。

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