私の取材……ではなく、教え子でした

お知らせ

7月に毎日新聞記者様よりご連絡いただき、取材の申し込みをお受けしました。

最近は「大の会」や「能meets」で取材いただくことも多く、今回もそのつもりでおりましたが、いろいろと事前にお電話でお話をさせていただく内に、教育の面からの取材であることが分かりました。

そして私が指導をしているお子さんの取材へと変わりました。

藤尾倫子ちゃん13歳。実は始めは倫子ちゃんのお姉ちゃん(当時小学3~4年位でしたか)が、私のところに、お母さんと一緒に稽古に来られてました。大変熱心なお姉ちゃんで、覚えもよく、舞台では溌剌とした謡と舞をし、稽古場の人気者。

私が能を勤めた時は必ず観に来てくれ、後日、その時の様子を絵に書いて私にプレゼントしてくれたものです。もちろん、その時の絵は全て大切に保管しています。

そのお姉ちゃんのお稽古の時に、お母さんと一緒に時々よく稽古場に遊びに来ていたのが、当時幼稚園から小学校に入ったぐらいの倫子ちゃん。始めはきっと「早くお姉ちゃんの稽古終わらないかな」という気持ちで待っていたのでしょう。

その内、お姉ちゃんがお稽古している舞の足拍子のリズムを覚えたり、セリフを1行程ですが口ずさむようになりました。

お子さんはすぐ「見て覚える」ことができるものだと感心していた折、お母さんから「倫子も稽古したいと言っています」とお申し出がありました。

あれから数年、途中お休みの時期もありましたが、今でも私の稽古場に通ってくれています。お姉ちゃんに負けず、やはり溌剌とした舞台を見せてくれます。

私が子供さんに稽古をするようになったのは、29歳の時。

佐賀県の呼子で、初めて自身が主催する子供教室を開催しました。その時に教えていた第1期生はもう社会人。お稽古はさすがに忙しくできないでしょうが、時々私の稽古場を覗いてくれるのはとても嬉しいことですね。

子供たちが将来大人になり、いつか「能の先生」であると同時に「一人の大人」としていろいろと話ができたらなと思います。

実は私は最近、子供への指導を引退しようと考えたことがあります。これまでいろんな子供さんに指導してきましたが、若い時は「自分が及ぼす影響」といいますか、教える側の責任のようなものをあまり深く考えずに稽古をしてきました。

今43歳になり、もしかしたらこの子の人生を変えてしまうようなことを私はしている、そして、もうその立場にあるのだと思うと、とても私には子供の指導は勤まらないと最近思い始めました。

たかが能の先生。能しか教えられません。

ですが、稽古に来た子供は、気がつけば人前で大きな声を出せるようになり、気がつけば怖じけずに舞を勤めるようになり、正座をしてきちんと挨拶するようになり、自ら進んで老人ホームのおじいちゃんおばあちゃんに舞を見せて喜んでほしいと言い出し、大学などでも積極的な活動が出来るようになり、親戚の結婚式で堂々と舞い晴れやかな姿を見せ、そして私の舞台の後は自ら絵を書いてプレゼントしてくれる。

ただ能を教えているだけなのですが、子供の体の中では様々なことが起こっています。

子供の体の中で、一体何が起こっているのか、そういう事も含めて寄り添うこと。

今倫子ちゃんや呼子の子供達、そして最近は神戸三田の子供さんもお教えしています。

彼ら彼女らの稽古を通じて、責任に押し潰されそうになりながらも、それでも自分を奮い立たせて一生懸命にお稽古させていただいております。

いつか能を離れて、社会に出たり進学をしたり、他の進む道が見つかったり。大人になった彼ら彼女らがかつての能の稽古を振り返ってどのように思うのか。段々と爺ちゃんに近づく私はこの先子供をいつまで稽古できるのか。

今回の記事をきっかけに、倫子ちゃんも何かが変わる、又はより確固たるものがつくられる、そんな人間形成のお手伝いが出来ているのであれば嬉しく思います。