佐賀での活動、そして東京での活動

お知らせ

内弟子を卒業する最後の1年から、佐賀県の呼子というところ(亡き母の故郷です)で教室を開き、行かせていただいてました。

当時は修行で疲れた体を休めたいと、月に1度の1泊でしたが、半ば旅行気分で伺っておりました。当時は生徒さんも少なく、交通費を考えると赤字でしたがそんなことはどうでもよく、とにかく「大阪を離れるための稽古場」だったように思います。

あれから13年、気が付けば稽古場も呼子と唐津に増え、子供教室も開催し12年続いています。

「能をYOBUKO」という、規模は小さいですが、定期的に能の催しを地元の皆様と企画したり、多久島法子さんとの共催による「唐KARAコンサート」、そして最近では呼子保育園にも月1度稽古に伺っております。

豊臣秀吉が能に夢中になったといわれる名護屋の地にある茶苑「海月」さんからのご依頼で、月1度の謡の体験講座も行いました。

その他呼子小学校への定期的な講座、地域の活性化企画などにまつわるご依頼なども多数あり、今は月2泊か3泊、呼子の叔母の自宅に泊まりながら、「とても旅行気分ではない」滞在をしております。
 
大阪からの移動は、朝4時30分に起床、5時15分に自宅を出て空港に向かい、始発の飛行機にて福岡空港へ。

その後長い時間電車に揺られ、唐津の稽古場に到着するのは10時30分ごろ。そこから夜遅くまで稽古や講座や打合せなどが始まります。佐賀への滞在時間が限られておりますので、本当に時間との闘いです。

教室の生徒の皆様には私の活動にご理解いただき、本当にたくさんのお気遣いを頂戴して、なんとか過ごさせていただいております。

私の叔母はマネージャーのように、送迎や稽古場の世話、そして食事の用意までしてくださり、スーツのボタンが取れていたら知らない内に縫ってくださいます。

佐賀での活動は、少しずつ蒔いていた種がようやく今ごろ花を咲かせ始めたのだなと感じています。13年は決して短くはありませんが、来し方を振り返ると、大変短かったように思います。肝心なことは「ずっと続けていく」ということだったのだと考えています。


3月9日、東京都大田区南雪谷にあります「山階能舞台」にて、教室を開設いたしました。東京では初めての教室開設です。

生徒さんは3名様と少ないのですが、私はこの教室を可能な限り続けると決めました。勿論やはり赤字。日帰りできるとはいえ、丸1日かかる仕事です。

稽古と稽古の合間、生徒さんをお待ちしている間に少しボーっと考え事していました。稽古場でこのような時間を過ごすことも最近なくなりました。そういえば、呼子の稽古始めたときは、こんな感じだったな。

東京で、これから「種まき」を始めます。うまくいくかどうかは分かりませんが、呼子の皆さんが背中を押して下さってる、そんな気がしています。

写真は、先日唐津にて行われた「ひいな遊び」での講座の様子。そして東京の私の稽古場「山階能舞台」です。